大学の9月入学のギャップタームと大学の狙いについて

 東京大学は9月入学を検討していることを発表、他の大学もいくつかは追随することを発表しています。多くの外国の学校が9月入学であるため、日本も国際基準に合わせたほうが優秀な留学生を獲得出来るし、また日本から海外の大学院や博士課程に行くのにも都合がいいというのが大きな理由のようです。何事も国際化が進む中で、国際基準に合致するというのは優位性であるのは間違いない。以下は東京大学の発表した報告書である。

http://www.u-tokyo.ac.jp/gen02/pdf/20120126interim.report.pdf
(私は詳しく読んだわけではありません。もしかすると報告書の内容と一致していないことを書いているかもしれません。)

 その反面、いくつもの不利な点も指摘されている。その一つがいわゆるギャップ・タームというものである。3月に卒業した高校生が、9月まで何をするのかということである。東京大学はこの時間を使って学習をしたり読書をしたり留学をしたりインターンをしたりすればよい肯定的な時間だという。上記報告書によると、

1 知的冒険をする(研究活動の参加、読書、留学など)
2 社会体験を通じて視野を広げる(ボランティア、インターン、ホームステイなど)
3 大学での学びにむけた基礎をつくる(高校時代の授業の復讐、体力作りなど)

 しかしそんなに事は簡単ではないのではないか。1では遺跡発掘やら読書などを大学は提案しているが、ようするに自分で勝手に何かやれということを強要している。海外の語学学校へ行って語学を学ぶには確かに良い時間であるように見える。だが3-4カ月を海外の語学学校で過ごすには、授業料や交通費や滞在費を含めてすぐに100万円くらいの出費にはなってしまう。高校卒業直後にそんな大金を用意できる人がいったい生徒のどのくらいの割合でいるだろうか。私にはそれが多数派だとは思えない。もっとも民間の斡旋業者には特需となるだろう。
 2では、例えばボランティアならば本気で探せば日本全国大概はどこでも出来るだろう。それでもその間には生活費はいるのだ。最初から授業を受けたほうが時間を有効に使えるという生徒もいるだろう。3に関しては生徒に暇つぶしのやり方の提案をしているようにしか聞こえない。
 9月入学の間に好きなことができるという主張には、実は多くの生徒にとっては犠牲を強いられているだけに過ぎなくなる可能性がある。それに対して大学側が自分の主張を通すための言い訳をしているように思える。何かをやる時間を与えましたと言っているが、生徒にしてみれば無理やり与えられたのである。生活費を稼ぐためのアルバイトをするにしても中途半端である。雇用主から見れば、どうせ秋には学校が始まればすぐに引っ越しをして辞めてしまう人を採用したいと思うだろう か。大学所在地と家が同じ人ならばまだいいが、そうでない人には不利であり簡単に都合の良いアルバイトが見つかるとも思えない。
 また4月の一斉就職が主流の日本において、卒業後も時間が空くのは生徒にとって不利である。一斉に採用して一斉に研修をしていくから企業にとっては新卒採用の費用の削減や連帯感を生むという利益があるが、企業は改めて採用や研修をするとなれば負担となる。企業にとって不利ならば、それは生徒にとっても不利となる可能性が高い。どうしても先に採用される4月入学側が優位性を持ちそうだ。

 それならば大学に限らず、小中高と全て一斉に9月入学にしてしまえばいい。それならばそのような問題は起きなくなる。また企業側も9月入社になればよい。ギャップタームは存在しなくなる。
 だがもっと良い解決法もある。それは日本の大学がもっと自由であればよい。アメリカの大学と比較した場合、日本の大学は大変に融通が利かないのだという事実がある。例えば日本では授業といえば通年制であり、1年掛かりで履修して単位を取るというものが殆どである。週に一度授業があり、それを1年間通って授業を終了する。その間に大学を離れることや新たに途中から入学は出来ないし、そうすれば単位は取れない。
 しかしアメリカは違う。多くの大学が学期制かクォーター制を採用している。これは例えば学期制ならば、一学期(通常は9月入学ならば12月までの4カ月程度)で単位を取る。その代わりに週に3回程度授業に出るのである。クォーター制ならばさらに短く、その代わりにさらに授業は集中する。さらに夏休みの1か月ほどに毎日のように授業を集中的に受けて単位を取るようなサマースクールもある。実はアメリカでは、1月からでもいつでも入学ができるのである。アメリカは要するに生徒は9月入学と必ずしも決まっているわけではなく、、9月でも1月でもあるいは夏休みからでも学期ごとにいつでも大学に入学出来て授業を履修することが出来るし、学期が終わればいつでも大学を休学して留学することもできれば、卒業時期も自分で決める事ができる。
 それをせずに生徒だけに負担を与えるにも関わらず、生徒に時間の有効利用ができると主張する日本の9月入学制度には、学校側の怠慢があるように見える。大学にしてみれば優秀な外国人留学生を引き付けることが出来るとしても、それは本当は生徒に負担を与えることをわかっているのではないのか。大学も少なくとも積極的に生徒に学習の指針を示したりボランティアの紹介をする必要があるだろうし、アメリカ並みに出来れば学期制の授業の導入を出来るだけ早くに考慮するべきであると考える。そしてこうした動きが出てきている以上、社会もそれに合わせて義務教育の開始時期の変更や採用時期の柔軟化といった形で答える必要があると思われる。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

教師は君が代を起立して歌わない自由があるのか、大阪の条例について

 先日、大阪の橋下市長の市政下で、君が代条例が成立しました。これによって大阪の教職員は君が代の起立斉唱が義務付けられます。

 もちろんこれに反対して君が代を起立斉唱しない教職員がいるからそのような条例が出来るわけです。君が代が個人の信条に反するから歌わないというのが、そのような人々の一般的な言い分のようです。何故信条に反するかはいろいろとあるでしょう。君が代は天皇家の歌だから国歌とは認められないから、君が代の斉唱は全体主義・国家主義を増徴するから、そのようなところでしょうか。理由はともあれ、彼らの個人の信条に合わないわけです。しかし私はこのような言い分は全くおかしいと思います。

 例えば、もし外国語を子供のころから習うのは日本語をしっかり学べなくなるからよくないという信条を持った教師がいたとします。それならばこの教師は、国家の方針に反して学校で英語を教えることを拒否することが出来るでしょうか。もっと極端な例をあげましょう。ある教師が、昼食の後は眠くなるので効率が落ちるという科学データを基にして、午後のシエスタを取って一眠りするまでは午後の授業を拒否して、その後夕方に授業をするという信条があったとしましょう。それならばその教師は個人の信条を理由に昼食後の授業をしないという理由が通るでしょうか。個人の信条があれば組織としての規律や命令を無視して何でも出来る、だから君が代の起立斉唱も拒否できるなんて理由には全くなりません。もし個人の信条が組織内での命令よりも優先されて認められるというならば、個人の信条さえあれば組織として動く必要がない、上司の命令に従わなくてもよいという、何でもありの馬鹿なことになります。もちろん、組織の命令が合法的なものに限ります、念のため。
 幸いにも日本は個人の信条の自由が認められています。だから彼らは個人の信条を何よりも大切にしたいと思うのならば、学校を離れて家庭でその自由を満喫すればよい。家庭で君が代を歌う必要は全くありません。ひとたび職場を離れれば、君が代など歌うなと家族や友人に言ってもなんら問題はないと思います。しかしながら、給料を受け取りながら、気に入らない命令には従わない、それなのに命令に従う人と同様の待遇や昇給を受けたいなどと主張する人の考えには、全く賛成できません。どうしても信条がそれほど大切ならば、最低でも降格や停職の処分をされるのは当然というくらいの覚悟をもってやって欲しいものです。何故組織の命令に従わずに義務を果たさないのに、その組織で昇進などの権利だけを主張するなどという自分勝手なことが出来るのか、全く理解に苦しみます。最初にも書きましたが、日本は個人の信条の自由が認められています。信条が何よりも大切ならば、職を辞めて君が代の規律斉唱を強要されない別の職場を見つけるという自由もあるのです。
 民間企業でも社歌を歌うところはたくさんあります。朝の体操と社歌の強要など、私に言わせれば馬鹿馬鹿しい時間の無駄であるように思えます。それが馬鹿馬鹿しいというのは私の信条ですが、もし私がそのような立場で会社にいたとして、会社がそれをしろと命令されたならば、私はそれに従うでしょう。私は会社の組織人の一人として存在し、給料をもらっている以上、その命令に従う義務があるからです。例え心の中で馬鹿馬鹿しいと思っていても、個人の信条を理由にして社歌を歌うのを拒否はしません。それも給料のうちと思って諦めます。実際、日本の社会では多くの人が社歌を歌ったりしているのです。それでもどうしてもその状況を変えたいと思うのならば、これは時間の無駄ですのでもっと効率的に仕事をするために止めましょうという提案をして、そのような状況を変える努力をします。信条に合わないから最初から歌うのを拒否するとは言いません。それでももしそういったならば、人事評価が下がるくらいのことは覚悟します。

 個人の感想として、君が代の起立斉唱など正直時間の無駄だと思っています。一昔前の全体主義の時代ならばいざしらず、今の時代に国家の斉唱ごときで学生に愛国心が芽生えるなどと国が考えてるとするならば、時代遅れでてんでお笑いだと思います。私も含めて、私の周りで学校で国歌斉唱をして愛国心が芽生えたなどと言っている人に会ったことがありません。欧米では国家を音楽の時間に習ったりはしていますが、簡単に調べたところ、始業式や終業式の度にあるいは朝礼の度にやっているような国はないか、たとえあっても少数派でしょう。アジアの国ではそのようなことをしている国もあるようですが、どこまでそれに意味があるのか疑問です。

 しかし、それでも給料を貰って働いているならば、その組織の方針に従うのは当たり前のことです。民間企業では考えられないことです。個人の信条でやりたくないことを罰則もなしで何でも押し通せるなどという自分勝手な考えをするような人と、一緒に働きたいと思いますか。そんな人が教師をしていて、自分の信条が何よりも優先されるという人に、教えてもらいたいでしょうか。
 それならば生徒も教師を見習って、自分の信条で好き勝手をしてもいいという悪い見本になります。朝は寒いし眠いから学校に行かないという信条の生徒がいたら、それは認められますか。音楽の時間で、私は国粋主義者で日本の歌以外は歌わないという信条の生徒がいたら、外国の歌のときに黙ってしまうことは許されますか。気にいらない生意気な同級生がいたら、それはみんなで無視すべきだという信条の生徒がいたら、そのようなことをして虐めにつながっても、それは許されますか。全く馬鹿げています。そのようなことをする教師は、自分の信条を理由に好きなことをする生徒に対して、いったいどうやって彼らを導き教育をするつもりなのでしょうか。
 結局このような教職員は、自分が気に入らないことは組織内部でも命令に従わないという問題を、個人の信条が許されるかどうかという問題にすり替えているだけです。このようなことが残念ながら今までの公務員は許されてきた。これはゆゆしき問題です。組織人としての義務を当たり前に果たす、それが出来ないならば罰則を受ける。たったそれだけのことを今回はしようとしているだけです。当たり前の信賞必罰が行われる当たり前の組織になるための、今回は第一歩だと思います。そのために、個人の信条を理由に命令に従わない人にはそれなりの罰則が課されて当然のことだと思います。


<大阪市議会>「君が代条例」成立 一部修正で自公と合意 

毎日新聞 2月28日(火)23時54分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120228-00000112-mai-pol

  大阪市議会の2月議会が28日開会し、橋下徹市長は市立学校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付ける条例案を提案した。大阪維新の会、公明、自民が夜ま で調整を続けた結果、一部修正で合意し、賛成多数で可決、成立した。また、橋下市長は、関西電力の原発稼働の是非を問う住民投票条例案を反対意見を付けて 提案した。

 君が代起立斉唱条例案は、昨年6月に大阪府議会で成立した全国初の条例と同じ内容。府議会では、公明、自民、民主、共産が反対したが、過半数を占める維新などの賛成多数で成立した。

 府条例は府内の全公立学校の教職員を対象としているため、市教委は独自の条例制定は不要としていたが、橋下市長が「市の意思を明確にする意義がある」として提案した。


 市議会では維新は過半数に達しておらず、他会派の協力が不可欠だった。次期衆院選で維新との選挙協力を模索する公明は、条例案の目的にあった「服務規律 の厳格化」を外すことを条件に賛同する方針を決定。維新と公明は自民の賛同も得ようと調整を続けた。自民は「子供の発達段階に合わせて国旗国歌の意義を伝 える」とする修正案を主張していたが、これを撤回することで最終決着した。


 このほか、「大阪都構想」の制度設計をする「大都市制度推進協議会」設置条例案や、橋下市長の給与を42%、退職手当を81%カットする特例条例案も提案された。【茶谷亮、津久井達】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

タイムトラベルの私的考察

 昔は宇宙人が存在する・しないという論争がありましたが、最近では地球外生命体の存在が科学的に考えて実在するという方向で固まりつつあるようです。その一方でタイムトラベル(時間旅行)についてはまだ論争があり、今の段階ではそれは出来ないという意見のほうが強そうに見えます。

 実際に出来るかどうかは別にして、タイムトラベルの話は世の中にありふれている。それは小説・アニメ・漫画・映画の中を中心に、日常会話の中にもよく出てくるごく当たり前の話題である。しかし映画などを見ていて、どうもこのタイムトラベルの概念が間違えて理解されていることが多いように感じる。だからパラドックスが生じていたりする物語がそのまま使われていて、見ていて不自然なのである。
 例えば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画。1985年に生きるマイケル・J・フォックス演じるマーティが30年前の過去に行き、そこで両親に出会う。しかし彼が過去にいったことで両親が結婚しなくなりそうになり、そのために未来が変わってしまい彼の存在が消えてしまいそうになる、という話であるが、これは間違っている。マーティはすでに生まれて存在しているのだから、彼が過去に行き過去を変えたとしても、彼が存在しているという事実は変わりはしないのである。だが彼は彼が存在する1985年から来ていて、その彼の世界では過去に間違いなく両親が結婚して子供を作りマーティが生まれたという事実がある。これは過去に戻っても変えられない事実である。
 ではマーティが30年前の過去に行くことでもし両親が結婚せず子供が生まれなければどうなるのだろうか。そうなればもちろん、その世界ではマーティは生まれない。だから30年たった1985年には、マーティという彼らの子供は存在しないことになる。だが1955年の世界に1985年からやってきた、もし彼らが結婚していたら生まれたはずのマーティという男はそのまま存在する。彼は元の1985年の世界で既に生まれているので、今更いなかったことにはならないからである。その代わり、元の1985年にいたマーティは30年前の世界に行ってしまったため、本来の世界のマーティはその元の1985年の世界から消えてしまったということになる。そして1955年が30年たって1985年になったとき、元の1985年の世界もまた30年たっていて2015年になっている。彼は元の世界に戻らない限り、元の1985年の世界からその後30年たった2015年までの世界から消えてしまったことになる。そしてタイムトラベルした過去の1955年から1985年の世界に彼は移動し、そこで生きたということになる。

 ちょっとわかり辛い説明である。時間というのは一つの流れである。それは一本の川の流れのようだと思えばわかりやすい。たとえ自分が過去に行ってそこで何かを変えたとしても、そこから時間がたって現在になったとき、元の自分の世界もまた同じだけの時間が経過している。だから自分は元の世界の時間と共にさらに未来に流れて行っているため、自分が変えた過去の世界の交じり合うことはない。過去を変えたのに過去だけ時間が経過して、自分の元の世界は時間が経過せず過去が追いついてくるのを待っているなどということはないのである。映画のように30年前に戻って過去を変えたとしても、そこから30年たって現在になったと一見思えても、実は自分の世界もまたそこから30年という同じだけの時間が経過しているのである。
 例えば2012年現在から10年前の2002年にタイムトラベルしたとしよう。そこで過去を変えて自分がお金持ちになるように仕向けたとする。そして自分はまた10年未来にタイムトラベルして、元の2012年の世界に戻ったとしよう。自分は過去を変えてお金持ちになったから、元の世界に戻った自分はお金持ちになっているだろうか。答えは残念ながらそうなっていない。2002年の世界でお金持ちになった自分は過去の自分である。だからそこから10年たった自分がお金を使い果たしていなければ、2012年の自分はお金持ちである。だがそのときのオリジナルの自分もまた10年たっているので、2022年に生きている。それは2012年の自分がお金持ちではなかったので、そのまま何もなければやはり2022年の自分もまたやはりお金持ちではない。自分の元いた2012年の世界だけが10年時間がとまり、過去の2002年の世界が追いついてくるのを待たない限り、過去のお金持ちの自分がまた現在に置き換わるということもない。だが2022年から10年タイムトラベルして2012年に行けば、その世界に生きる自分はお金持ちだろう。

Time_travel_1_2

Time_travel_2

 こう考えれば、よく映画にあるようなパラドックスは存在しない。時間は現在も過去も未来も常に流れ続けるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

投資あれこれ

 お金をもらったとき、それを貯金する人は多いと思います。銀行貯金こそが唯一絶対的に安全な方法だと信じている人も時々会います。それは考察した上でそういう結論を出しているというよりも、思い込みによってそういう結論を最初から出して思考停止しているという人ではないかと思います。特に年齢の高い人にこういう傾向があるように思われる。
 貯金はそれほど安全だろうか。実際にはインフレリスク、信用リスク、為替リスクなどがある。日本は今はインフレリスクはあまり考えなくてもいいが、それでも信用リスクと為替リスクは確かに存在する。日本は多額の借金を背負った国であり、政治体制も不安定。しかも災害や戦争など、いつ何が起きてもおかしくない危険な地域に存在する。だからこのような国の通貨に自分の財産を全て預けるということはそれ自体がリスクである。かつてのアジア通貨危機、あるいは現在重大な問題に直面している欧州通貨危機のように一度日本円の信用が下落をしたら、国内の貯金だけに自分の財産を保有しているならば相当な目減りを覚悟しなければならない。また日本では預金の利子は殆ど無いに等しく、貯金に何ら合理性を見出せないのは随分前から言われていることである。
 そこで投資ということを考えなければならない。日本では投資をギャンブルと同一視する人がたくさんいて、投資そのものを悪と見なして思考停止してしまう人にそれなりにまだ会う。だが日本でもアメリカでも、株価指数に投資した場合に長期的視点で見れば銀行預金よりも株式に投資していたほうが利益が多いということは歴史が示している。それは上場企業の平均的な成長力が銀行預金の利子よりも高いということである。もちろん株式投資のリスクは預金よりも高いのだが、同時にリターンも高い。結果として期待収益率が銀行預金のそれよりも高いのである。

 さて投資は株式だけではない。有名なところでは債券・投信といった株式以外のその他の金融商品、不動産、原油・大豆といったコモディティがある。金などの貴金属を保有する人もいるだろう。
 ちょっと変わったところでは、美術品、骨董品、映画、ワイン、飛行機、船、会社、個人のベンチャーといった色々な投資がある。飛行機や船や工事用の重機を買い、それを貸し出して料金を取ることによって運用し利回りを得るということも可能である。太平洋を飛んでいる飛行機や航行するタンカーが、実は個人の所有している投資案件であったりする。不動産でも管理を委託出来る会社があるが、飛行機などでも委託を出来る会社があるようで、以外とそんなに難しい投資ではないかもしれない。
 美術品、骨董品、ワイン、映画などはかなりの専門知識や審美眼を必要とするため、ギャンブル的要素は強くなるだろう。正直素人が自分の財産を運用し利益を得る目的で手を出すべき分野ではない。専門化ですら偽物を買ってしまったりするのはよくあること。それでも当たれば大きいというのもあるし、自分がこれらの分野が好きならば趣味の延長として勉強しながらやってみるのも面白い。例えば美術品投資を考えるならば、美術展に行ってみたり画廊を周ってみたり美術大学の展覧会に行ってみたりして、面白そうな新人画家を探してみるのも良い。なかには未来のピカソがいるかもしれない。
 昔、マネーの虎という番組があった。事業を立ち上げようとする人々がプレゼンをして、気にいられれば投資家から出資を得られるというものである。日本ではこういうことをする人は少ないのだが、欧米やら中国やらの外国の一部では珍しくもない投資となっている。もちろんこれも高度な専門知識が必要であり、それがある専門家のベンチャーキャピタルが投資をしても成功するのはほんの一部だけと言われる。だがこれも当たれば大きい。ヤフーのような企業を発掘して当たればまさに一攫千金となる。これがいい点の一つは、素晴らしい起業家がいても資金難によって起業が出来ないという問題を解決できること。このような起業が出来る社会になれば、日本経済を牽引し社会を助けるという意義を見出すことが出来る。決して数は多くはないが、起業家と投資家を結びつけるマッチングイベントが主に大都市で時々開催されているので、そういう場に行ってみると掘り出し物が見つかるかもしれない。別に自分がベンチャーキャピタルに勤務していなくても、個人でも投資は出来る。

 また投資は日本だけでなく、海外の投資というのも考えるべきである。国際化の進んだ現代では国境に関係なく簡単に投資が出来る環境が整えられてきている。海外の金融商品は随分前から簡単に証券会社で買うことが出来るし、海外の不動産を仲介する専門の会社もいくつも出現している。成長が鈍化し数々の問題がのしかかる日本に財産をおくよりも、リスクはあれども高いリターンの望める海外に投資を考えるのが結局リスクが低くなるかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

売却するために会社を作るというビジネス

 昔、M&Aのファイナンスの授業中、教授がある話をしてくれた。一時期著作権問題で話題になったファイルを交換するナップスターという会社の話である。この会社は音楽等のファイルを自由にネット上でコンピューターを接続して公開し交換することで、音楽なんかを事実上無料で手に入れ放題というものであった。その教授は会社の創立者と会ったのだそうだ。よく覚えていないが、たぶんナップスターの創立者のショーン・パーカーのことだろう。それで教授は、「人はファイルを手に入れられるから会社の人気が出るけれど、ビジネスモデルとして収入源がないじゃないか、どうするのか」と聞いたそうだ。だが彼は何も考えていなくて、「多分会社を売る、その金でまた何かビジネスを始めればいい」みたいなことを答えたそうだ。ビジネスとして収入源も考えていなくてビジネスモデルとして成立していないものを作って、それがITビジネスとして成立するなんてなんといいかげんな、みたいなことを教授は言っていたように覚えています。

 さてこの話を聞いたとき、私もITバブルの知識を少し持っていた私も、このころはこんないいかげんなビジネスが平気でされ、しかもそんないいかげんなビジネスに大量に資金が流れ込み投資として利潤を追求するなんて馬鹿なことがまかり通っていたのだとの思いを新たにした。
 だけど今は少し違うことを考えてる。ナップスターは著作権の問題があるために、確かに会社としてあるいはビジネスモデルとして問題があった。だが今は会社がどうやって売上・利益を上げるかという収入源については別の考えを持っている。
 それは会社はとにかく人の役にたてばそれだけで悪くない、必ずしも収入はいらないということである。便利なものは良い。人が使って便利で役に立つものならば、それだけで人気が出る。人気が出ればたくさんの人が集まってくる。たくさんの人が集まれば、それだけでビジネスになる。例えば広告を貼り付ければいい。広告でなくても人が集まることによって本業以外に何かビジネスを展開すれば良い。自分で収入を上げられなくても、そのビジネスを他と組み合わせることによって利益が生まれるかもしれない。そうならば合併や会社の売却をすればよい。そうすれば会社の創立者は会社が赤字であっても莫大な創業者利益を上げることが出来る。人から必要とされる存在になるということそれ自体がビジネスになる。
 例えばGyaoという動画サイトは赤字続きだったと言われているが、少なくともある程度の人気があった。そして今そのビジネスはヤフーに売却されて数多くの動画配信を行っている。ヤフーは動画サービスの提供によりより多くの集客をすることが出来るし、Gyaoはヤフーから新規の顧客が獲得できることを期待できる。そしてGyaoは2011年三月期で営業黒字を達成したらしい(参照 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1109/08/news023.html)。赤字だった企業ばかりでなくても、このように人の役に立つサービス、集客力のあるサービスはビジネスとして成立していなくても、売却や買収のシナジー効果により生まれ変われる可能性がある。ヤフーをはじめとするポータルサイトは総合的なサービス企業として数多くの新サービスを提供し顧客獲得と売り上げ増に努めているので、役に立つサービスやすでに多数の顧客を持っているサービスは、それがビジネスとして成立していないものでも値段が折り合えば欲しいというのが本音だろう。スカイプもその会社が上げる収入よりはるかに高い金額でマイクロソフトに売却されたし、Youtubeもグーグルに買収された。
 だからビジネスをはじめるとき、収入源が明確でないようないいかげんなビジネスでもビジネスが成立することがある。とにかく人の役にたつもの・人気がでるものであればいい。そうすればお金は後からついてくるかもしれない。欲しい人に会社を高値で売ってしまう、そういう会社を作る、というのも一つのビジネスかもしれない。もちろん最初から会社を売るというのが目的で会社を設立する人も既に多くいる。だが会社が売れるのは儲かっている会社だからというのが一般的だろう。たとえ儲かっていない会社が売れても、安く買い叩かれては苦労のしがいがない。だが儲かってなくても売れる会社、儲けよりも遥かに高い値段で売れる会社というのが普通に出てきて、それが普通にビジネスとして成立する時代になってきているのかという気もする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

水戸黄門とLED電球から見た企業戦略

 LED電球が急速に普及してきている。LED電球は省エネで長寿命なので、数年前から従来の電球に代わる主力商品になることは予測されていた。ジーエフケーマーケティングサービスジャパンによると、LED電球が2011年5月第4週に、電球の全販売個数に占めるLED電球の割合は42.3%と4割を超えて、白熱電球の割合(39%)を初めて上回った。量産効果や技術革新によって価格が低下していることによって売上が伸びている。
 東芝はすでに他社にさきがけてフィラメント型の電球の生産を2010年3月に廃止、全てLED電球の製造に切り替えた。明らかにLEDが今後の主力製品になることを見越して、資源を新製品に集中するためだと考えられる。一時期東芝のLED電球のシェアは48.7%と50%近くに達した。その後は競争が激化してシェアをかなり落しているが、このようにいち早く将来の主力製品になるものに先駆けて集中する戦略は有効であると考えられる。

 新しい時代となって新技術が主力になるときや既存顧客が大幅に変わることが明らかな場合に、まだまだ自社商品に顧客がいても、儲かっている商品があるときでも、企業はあえてこれらの商品や顧客を捨てることが企業戦略の一つとして有効なことがある。既存の需要にかまっていると、新しい時代に乗り遅れることがある。音楽がデジタル化していく中でいつまでもレコード針などのレコード関連の製品を作り新規分野に参入することに乗り遅れた企業はこれのいい例である。
 さて水戸黄門が今年の12月を最後にその長い歴史に幕を下ろし終了する。水戸黄門は1969年に始まり一時期は最高で43.7%という高視聴率を誇ったらしい。その番組が何故今視聴率が低迷し終了してしまうのか。細かく調査し裏付けをとったたわけではないが、これを想像と仮定を使って考えてみるならば、電球やレコード部品と同様であると考えられる。
 水戸黄門は偉大なるマンネリ番組である。いつも水戸黄門御一行は絶対正義であるだけでなく絶対的に強く、よもや黄門様に間違いがあったり悪に負けるなんてことはあり得ない。物語はいつも単純で、悪いやつが不正を働き、それを水戸黄門が調査し懲らしめる。殺陣も迫力のあったり人が血飛沫をあげて生々しく死ぬような真剣なものであったりするものではなく、やられ役が格さん助さんの周りを囲んで打ち合わせどおりにやられる順番を待っている。ようするに正義が勝つことを安心して待ちながら見ていられることが受けた番組であった。
 だが時代は変わる。映画やドラマは真実性を追究したようなものが邦画だけでなく洋画からも大量に流入し、このようなマンネリ番組を好んで見るのは主に高齢層になった。若い層はもうこのようなどのシリーズを見ても同じ物語ではなく、予測がつかないものや驚きを与えてくれるものや知らないことを教えてくれるものや真剣に戦っている物語ではないと面白いとは感じなくなった。現在は趣味の多様化でテレビの視聴率自体が全体に落ちている中、水戸黄門が好きな高齢層はさらに高齢化して徐々に消えていき、しかし新たな若年層を視聴者として獲得することは出来ない。それでも水戸黄門は相変わらず従来のマンネリを変えてまで新規視聴者を獲得しようという冒険には出なかった。そうすれば今までの水戸黄門を見ていた視聴者を失うからである。結局水戸黄門はそのままずるずると視聴率の低下に苦しむことになる。
 これは遠山の金さんや暴れん坊将軍といった他のマンネリ時代劇も同様である。現在において一時期人気のあった時代劇の放送があまりないのは、従来の顧客を失うことに気をとられて新規顧客の獲得に挑戦することをしないからである。別に水戸黄門でなくてもよい。現在のテレビの視聴者に対して彼らの趣味に合う新しい時代劇を製作すればよかったのだろうが、結局それは出来ていない。

 トヨタのクラウンという車がある。一時期は「いつかはクラウン」という名文句と共に日本人の憧れの高級車であった。実際にどこかで見たがかつてはアンケートでもとても高い人気を誇っていた。その反面、クラウンが嫌いという声も特に若い層を中心に増えていった。高齢層にとって憧れの車だが、若者にとっては年寄りが好きな古い価値観の親爺臭い車であるという印象が強くなりすぎていた。しかしクラウンを買う高齢層を考えると、モデルチェンジの際も彼らの趣味に合わせて「親爺臭さ」を捨てることが出来ない。この結果さらに若年層はクラウンに興味を失っていく。不況や売れ筋がミニバンなどに移ったこともあって、クラウンを買おうという人は高齢層ばかりであった。
 トヨタはこの状況に危機感を抱く。このままでは今は売れていてもいずれ将来はクラウンを買う人がいなくなる。そして2003年のモデルチェンジでクラウンのコンセプトを変更し、もっと若者の趣向に合うようにデザインをスポーティなものにしてきた。従来のふわふわのサスペンションも走行性能を意識したより硬めのハンドリングの良いものになった。これは従来のクラウンが好きな高齢層には一部不満が出たようだが、購買層の平均年齢をある程度下げて新しい顧客を獲得することが出来たと言われている。

 企業は時にあえて自分の顧客や商品を捨てる勇気が必要である。技術が時代遅れになるとき、顧客が代わるとき、それでも今の商品を捨てるというのは勇気がいる。今までこれでよかったのだからあえて危険な橋を渡る必要は無い、このままでいいではないかと変化を嫌う人がいる。しかし変えなければ危険ということもまたあるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スズキとVWの提携解消について

 2011年の先月九月に、スズキとVW(フォルクス・ワーゲン)が2009年に発表した提携の解消に動いているという記事が紙面を騒がせた。実はこの提携については以前から進展がないとかうまくいっていないという噂があり、そのような記事が業界紙やインターネット上でもいくつか見られた。とにかく両社の間で具体的な動きがないのである。

 スズキは市場は主にアジアで強く、小型の安い車を得意としている。VWは市場は欧州は当然として南北アメリカでも強く、小型車から大型車までを揃えており、元々は大衆車メーカーとはいえ少し高級で高性能な車を得意としている。それ以外にもVWはベントレー・ランボルギーニといった超高級車からセアト・シュコダといった低価格車までのいくつもの自動車会社を買収して多数のブランドを持つフルラインの自動車会社である。
 この2社は異なる得意市場と異なる得意製品を持ち、一見お互いに得意分野で技術提携して不得意分野を補完しあえば理想的な組み合わせのように思える。例えばスズキはVWの環境技術が欲しいだろうし、VWは当初はスズキの原価低減の製造技術が欲しかっただろう。スズキは費用のかかる新エンジンの独自開発をするよりも、他社の持つエンジンの供給を受ければ時間と費用と資源を大幅な節約になる。だが両者の間で提携に関する進展が殆ど聞かれなかった。それどころかスズキはフィアットからディーゼル・エンジンの供給を受ける契約までしてしまう。
 実際、両社の補完関係はあまり機能していなかったという話がある。VWはスズキの原価低減の製造技術はすごいが、そのために性能・品質を犠牲にしていると判断した。スズキはVWの高性能な車は、スズキのように安い車を庶民に提供するためには不必要に高価であると判断した。VWの得意とする時速160キロの高速安定性など特にアジアにおけるスズキにとってあまり意味がない。またVWにとってもスズキとの提携はすぐに利益をもたらしそうにはない。だがVWはスズキをシュコダのようにグループに取り込み、特にアジア地区での販売を任せてグループ全体の総売上を伸ばしたい、あわよくばそれで自動車業界1位の座を獲得したいという思惑があったとされている。だからVWの3月の決算報告書に「スズキはVWの持ち分法適用会社」として含めたのだろう。提携で技術や部品の供給をするのではなく、スズキが持分会社の一つとして今後の大幅な拡大が望めるアジア地区を押さえてくれればVWにとって理想的である。
 だが最初から自主独立路線を掲げるスズキにとって、これは容認しがたい問題であった。そもそもスズキはそうならないように発行株式数の20%に届かないぎりぎりの株式をVWに保有してもらう契約にしている。スズキの目的は自主独立を守ったままの提携であって、VWから技術の供与や部品の供給を受けられないのならばこの提携は意味をなさない。ましてVWに一方的に取り込まれてやる必要などない。両社の溝は埋めがたいと言っていいだろう。

 自動車会社間でいくつもの合併があったが、近年ではあまりうまくいかないのではないかという批判的な声も聞かれる。実際うまくいっているのはルノー・日産連合くらいであり、互いに得意市場とラインアップを補完できるダイムラー・クライスラーは理想的な結婚と言われながら、企業文化の違いやダイムラーによる経営関与が強すぎて失敗している。その意味でスズキが2009年の時点で提携に留めたのは悪くない判断だった。提携が機能しなかったとはいえ、今VWと別れたとしてもあまり傷が深くはない。時間は失ったが、泥沼にはまっているわけではない。VWじゃなくても新たにより良い提携相手を探せばいい。

 だがVWはどうだろう。VWにとって前述のごとくスズキを傘下に収めるのは意味がある。またスズキの株式の19.9%を取得して既にそれなりの額の投資をしているVWにとって、今手を引くことは株価の下落もあってそれなりの損が出ることになる。投資時の株価は1株2061円で、総額は約2225億円に上るが(†1)、今年9月の株価はおよそ1500-1700円程度の範囲で動いている。それは経営者にとって経営責任を問われることにもなるかもしれない。それならば株式の買占めをして今度こそ本当にスズキを子会社にしてしまうというというのは、経営者にとってもVWの利益にとっても充分に魅力のある話である。まだVWは態度を明らかにしていないが、水面下で計画を立てあるいはすでに実行に移している可能性も捨てきれない。この際にかつての三菱とダイムラーのときのように、スズキの買収後の経営がうまくいかない危険は当然出てくるのだが、今はVWも売上は比較的伸びておりトヨタを追い越すとも言われており投資をする体力はあるようだ。

 ではそれに対してスズキはどうするか。買収を避けるのならばポイズン・ピルのようなそれに対する通常の対策に加えて、新たな提携先を探すのも一つの手段である。強いバックアップがあればVWも手を出しにくい。例えば軽自動車に注力している日産にはスズキはすでにOEMという形で商品の供給をしている。日産は三菱との関係を強化しているが、軽自動車の将来性に注目した日産と、日産の環境技術が欲しいスズキならば可能性はあるかもしれない。どのみちスズキ単独で将来の対応として独自の環境技術開発をするのはあまり得策とはいえず、新たな提携先を探すのは自然な流れと言える。スズキの小型車や製造効率やアジア市場での売上といった強さは他社にしてみても魅力はあるし、だからこそスズキも強気に出ているのだろう。この強さがあるうちに早めに次の対策をする必要がある。

2分でわかる「これがVWとスズキ提携解消の真相!」まとめ

http://clicccar.com/2011/09/15/60918

スズキが今回、VWに対して2009年12月に締結した資本業務提携の解消を申し入れた事で、今後のVW側の動きが注目されますが、今一度それまでの経緯を整理してみましょう。

 

【当初の提携目的】
・VW:インドなど新興国向けの低価格小型車の開発ノウハウを得る。
・スズキ:VWが持つHV車やEV車の環境技術の提供を得る。
新興国向けの低価格小型車をVWに供給する。

 

の筈でしたが、提携後 1年9ヶ月が経過してみると・・・

【スズキ側の見解】
・VWの申し入れを受けて、互いに独立したイコールパートナーである事を条件に契約を締結したが、19.89%のマイナーな出資比率ではVWからまともな技術的支援を受ける事が困難である事が判った。

 

・提携の具体化に向けて交渉を続ける中で、スズキがVWのエンジンを採用した場合、スズキの生産の1割を占める他社へのOEM供給ができなくなるなど様々な制約がある事が判った。

 

・軽市場やアジア市場で競争力を維持していく為には経営判断における 『自主独立』が不可欠だが、VWが最近になって 『財務的、経営方針上、重大な影響を与える事が できる会社』 としてスズキを位置付け、それを公表。スズキの自主的な経営判断にマイナスの影響が出る事が懸念される状況になって来た。

【VW側の見解】
・業務提携以降、予想以上に具体的な進展が無い。
・スズキが提携後、伊フィアットからのディーゼルエンジン供給に合意し た事は契約違反であり、その行為に対し、数週間の改善期間をスズキに与えた。遺憾に思っているが、必要なら状況について協議する用意が有り、提携解消を意 図している訳では無い。 スズキの対応を見た後、次の段階について協議する予定だった。 スズキは「依然として魅力的な投資先」。

と言った具合で、何やら当初から妙な業務提携とは思っていましたが、どうやらVW側の狙いがもっと奥深い所に有ったのではないかと思われます。

 

つまり、ゆくゆくはスズキを自社傘下に収めて、悲願の販売台数世界一を目標である2018年を待たずに早期に達成してしまいたい、それも昨年まで世界一だった競合相手のトヨタが震災の影響から完全復活する前に・・・との思いが見え隠れします。

 

現にVWが契約内容に反して唐突にスズキを自社傘下如くの扱いに出たのが震災発生直後の5月。あくまで推論ですが、トップスリーの熾烈な世界販売情勢を見れば、それが絵空事では無い事に気付きます。ひと目で最新の世界販売の状況が判るグラフを作ってみたので御覧下さい。

つまりVWにとって、正に今年が、最速で世界一番になれる、またと無い「チャンス」となった訳です。「先見性」に優れている事で有名な鈴木会長ですが、提携時点の2009年には流石に現在の状況までは予測していなかったのでしょう。

VW側もスズキがいきなり提携解消技に出るとは「想定外」だった感も。焦ったVWはスズキとの提携解消を否定しているようです。しかし、その壮大な野望もスズキの反発で叶わぬ夢と化そうとしている・・・ そんなところではないのでしょうか。

 

鈴木会長はVWの世界販売台数No.1奪取の為に自社が利用されるなど、まっぴら御免との思いが頭をよぎったのかしれません。コトワザで『急いては事を仕損じる』と言いますが、やはり目標達成にはVWは正しいステップを踏むべきでしょう。


(†1)スズキ:契約違反は犯してない-独VWは協定違反とし是正求める、ブルームバーグ社記事より、http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920012&sid=aUVy1529Qe0g)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

新エネルギー開発投資

 経済もうまくいかず人気を低落しているアメリカのオバマ大統領だが、彼のグリーン・ニューディール政策も批判されている。例えば太陽エネルギー関連のソリンドラ社に政府から多額の融資をしておきながら、同社は中国企業との競争に敗れて9月8日に破綻した。グリーン・クリーン関連で多数の職を供給するといっておきながら、余計な混乱を招き財政を悪化させただけである。

 下記記事によると同社破綻後でも政府保証をしていたとなっており、事実ならば融資の判断に問題がありそうである。少なくとも同社が破綻した以上、多額の融資は失敗だったし融資すべきではなかったと結論できる。融資時に本当に同社に明るい展望があったのか、競争力を持っていたのかについても疑問が出てくる。
 だが不景気であり化石エネルギーに頼ることが環境の点からも安定供給の点からも価格の優位性の点からも問題を抱える以上、新エネルギーの開発に成功したものが今後のエネルギー分野において優位にたつことは疑いようがない。それはかつて19-20世紀において石油という新エネルギー開発に成功した企業と国家を見れば明らかである。エクソンモービル・ロイヤルダッチシェルといった石油メジャーや、アメリカ・イギリスといった国家が大量のエネルギーを使って大きな利益を上げ、今でもその恩恵を享受している。だからこそアメリカだけでなく多数の国が新エネルギー分野に助成金を出したり融資をしたりするのである。
 結果的にソリンドラ社が失敗したとはいえ、その意味においてこの分野に投資をして業界をリードしたいと思うことが間違っていたとは思わない。恐らく方向性は正しかった。しかしそれを実行していくための戦略や調査や見通しや過程などにたぶん問題があった。ソリンドラ社の破綻だけを見てオバマの政策が間違いであったと結論づけるのは単純すぎる。このような新規分野に投資するということは、当然危険があるのは最初からわかっていることである。それでも成功した場合の報酬が大きいと思われるから挑戦する価値がある。
 またこれは日本にとっても大きな教訓になる。日本は化石燃料分野において欧米に遅れをとったが、新エネルギー分野においては誰が主導権をとるかはまだ不明。実際ソーラー発電などで競争力を持っているのは価格競争力がある中国企業だったりするが、新エネルギーはまだ効率が悪く本当に主力のエネルギーになるのにはまださらなる技術的飛躍が必要。ただこの分野においてやみくもに商業ベースの融資や投資をするのではなく(それも必要ではあるが)、世界をリードすることが出来る画期的な技術力を持つようなことが必要なのかもしれない。


米FBI、破産法申請のソリンドラ社を捜索―政府支援に批判も

      2011年 9月 9日  12:39 JST
http://jp.wsj.com/Business-Companies/Technology/node_303706

 米連邦捜査局(FBI)は8日、太陽光発電パネルメーカーのソリンドラ社本社(カリフォルニア州フレモント)を家宅捜索した。同社は、連邦政府から総額5億2700万ドル(約408億円)の融資保証を得ていたが、連邦破産法第11条の適用を今週申請して事実上破綻した。

 FBIの家宅捜索は予想外で、ワシントンでは共和党議員がオバマ政権の実施したソリンドラ支援を批判するなど物議を醸している。

 

 FBIのソーン報道官は、捜査令状の執行はエネルギー省および同省監察官との共同捜査の一環だと述べた。ただし、同報道官は捜査の目的を明らかにせず、 ソリンドラの広報担当者デービッド・ミラー氏もFBIが何を捜査しているのか知らないと語った。同氏は家宅捜索は「全く意外」と述べたうえで、「本社ビル ではFBI捜査官たちが捜査令状を執行しており、われわれも捜査上必要なものを提出するなど協力している」と語った。

 

 ソリンドラは今週、破産法第11条を申請し、清算回避のため身売り先を探している。同社は資金の潤沢な中国のメーカーが太陽光パネルの価格を世界的に押し下げるなど競争が激しいため経営難に陥っていた。

 

 連邦融資機関は2009年、ソリンドラに5億2700万ドルの融資を供与し、エネルギー省が融資保証していた。

 

 ソリンドラは先週、工場を閉鎖し、従業員1100人を解雇した。同社では事務所と製造施設のあるフレモント本社で一部の幹部が依然働いている。ミラー氏は「われわれは身売りするか、知的財産の一部ないし全体を売却したい」と述べた。

 

 

 

 破産裁判所の判事は7日、同社に1カ月以内に同社資産の購入者を探すよう命じた。

 

 ソリンドラは私的整理による債務再編を実施した今年2月以降、生き残りのため買い手かあるいは投資家を探していた。この債務再編の下で、エネルギー省は 同社がデフォルト(債務不履行)の場合には政府から借りている大半の債務について会社存続に不可欠な新規民間融資6900万ドルの返済を優先させることを 受け入れていた。

 

 ソリンドラのウィルバー・ストーバー最高財務責任者(CFO)は7日、破産裁判所で、同社の潜在的な買い手2社と交渉中だと述べたが、社名は明らかにしなかった。

 

 

 

 ソリンドラは2005年に創設された政府の融資保証プログラムを受けているほか、2009年の政府の景気刺激法に基づき巨額資金を得ていた。オバマ政権 は同融資保証プログラムを再生エネルギー支援の目玉の1つと位置づけており、景気刺激法の下で執行されたソリンドラの事業計画が破綻したあとでさえ、融資 保証を供与していた。

 

 

 

 エネルギー省は8日、これとは別に、1億5000万ドルの融資保証を太陽エネルギー関連メーカーの1366テクノロジーズ社に供与した。このほか、9月30日の期限までに各種事業に数十億ドルの保証をつける見通しだ。

 

 しかしワシントンでは、オバマ大統領の2008年大統領選挙運動の資金調達者と関係のある基金がソリンドラに投資していた点を下院共和党が指摘、ホワイ トハウスがソリンドラとの取引で不適切に介入したのではないかと疑問視している。これに対し、ホワイトハウスは不適切な行為はないと否定した。

 

 下院エネルギー・商業委員会は来週、ソリンドラに関する公聴会を開催する予定だ。

 

 同委の民主党有力議員であるヘンリー・ワックスマン議員(カリフォルニア州)とダイアナ・ドゲット議員(コロラド州)は、下院エネルギー・商業委員会監 視・調査小委員会のスターンズ委員長に対する書簡で、ソリンドラのブライアン・ハリソン最高経営責任者(CEO)に公聴会で証言させるよう求めた。両議員 は、ソリンドラが今年夏、今年の売上高が2倍になると予測し、製品について「米国で強い需要がある」と述べていた点を指摘。「こうした保証は、破産法第 11条申請という同社の今回の決定と著しく対照的にみえる」と述べている。

                      

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ダイハツ・イースは実用的な低燃費車

 デミオのスカイアクティブがガソリンエンジンで低燃費を達成し思った以上に話題になっているが、ダイハツがガソリンエンジンでJC08モードで30km/リットルという低燃費を達成した。イースはアイドリング・ストップはあるものの、ハイブリッドや高圧縮エンジンや小型ターボエンジンといったわかりやすい新技術や新思想を使うのではなく、基本的に既存の技術の洗練によってこれを実現したようである。各社とも低燃費車を開発することが急務となっており、今回のダイハツの燃費は非常に魅力的である。

 軽自動車はエンジンが小さすぎるためにある程度回転数を上げなければ走行に必要十分な出力を得ることが出来ず、そのためにリッターカークラスの車と比べて必ずしも燃費が良いわけではない。しかしその軽自動車でこの燃費を達成したのはなかなかたいしたものである。
 しかも車両本体価格も79万5000円と低価格を実現した。軽自動車の車体価格も必ずしも安いものばかりではなく、背高のワゴンタイプは一つ上のクラスの車と比較してもそれほど割安感はない。イースの実際の売れ筋の価格はパワー・ドアロックのついた89万5000円のモデルになってくるかもしれないが、それでもこの価格は魅力的で競争力があるのではないかと考えている。イースは豪華さを目指したのではなく、経済的・実用的な車だろう。燃費が良くても値段の高くて元のとれないハイブリッドのような車ではなく、このような初期費用も維持費用も安くて実用的な車を欲しがっている潜在需要は多いのではないかと思っている。
 ガソリン・エンジンがこれだけの低燃費を実現しているなかで、トヨタはハイブリッドを使った小型車を開発中で、その燃費はリッター40kmを超えるのではないかと噂されている。燃費競争は今後もさらに加速していくものと思われるが、やはり燃費だけでなくこの価格は総費用で考えたときに大きな魅力である。ハイブリッドは魅力的だしおしゃれだが、それで価格が高いのではやはり一部の人のものとなってしまう。軽自動車は特に田舎においては主婦の足でありサンダルのようなものだから、気楽に買えて気楽に履きつぶせるものである車種も必要。ダイハツはいい商品を作ったと思うし、売れ行きもいいのではないかと予想する。

【ダイハツ イース 発表】燃費30km/リットル、79.5万円から
2011年9月20日(火) 15時34分
http://response.jp/article/2011/09/20/162553.html

ダイハツ工業は、低燃費、低価格を実現した新型軽乗用車『ミライース』を、20日から発売開始した。

ミライースは、昨今の環境意識や低価格志向の高まりを受け、誰もが乗れる「第3のエコカー」として開発。エコ(エコロジー+エコノミー)&スマートをコン セプトに、新開発「イーステクノロジー」を採用。既存技術を徹底的に磨き上げ、エネルギー効率の最大化を図ることで、約40%の燃費向上を実現。2WD全 車で、JC08モードで30km/リットルというガソリン車トップの低燃費で、全車、エコカー減税の75%軽減レベルに適合している。

外観は、スマート・エコスタイルをデザインコンセプトに、無駄を廃したシンプルでクリーンな造形により、合理的・知的なエコイメージを感じさせる先進的でいきいきとしたスタイリングを採用。

インテリアは、シンプルで合理的なデザインの中に上質さ、新鮮さを表現。インストルメントパネルは、ベージュとブラックのツートーンインパネを採用。独立したセンタークラスターとエッジを効かせたキャラクターラインにより質感と新鮮さを表現している。

また、部材配置・形状・材料選定を徹底的に見直し、品質面・原価面で、最も素質の良い図面を追求。車両特性に相応しいサイズ・機能・品質など、仕様を一から見直すことで、部品点数の削減や軽量化による原価低減を図り、79万5000円からという低価格を実現した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マスコミの報道と海外での取り扱いの差、同じニュースでも内 容や見方が違う

 いろんな事件が世の中起こりますが、その捉え方はそれぞれ違います。人によっても違うし、報道するメディアでも違うし、報道する国によっても違います。また事実をそのまま羅列し報道するメディアもあれば、ある特定の角度からその事件を取り上げたり或いはある解釈や意見をつけて報道するメディアもあります。報道する立場の違いから同じ事件が全く異なる報道の仕方をされることがあり、これらを知ることによって多方面な見方をすることが大切です。

 例えば第二次大戦前の日本は、日本の立場からの報道が非常に強かったように感じる。日本が朝鮮からさらに中国や満州に戦線を拡大していくとき、日本から見れば近隣の国々を日本の支配下におくことが国益にかなうことであり、欧米がかつてしたことを日本がしているだけのことだという思いもあったかもしれない。だがこれを中国や朝鮮はもちろん欧米の立場から見れば、日本の侵略主義であり全く異なる事件として捉えられるだろう。
 人は自分の立場をよく理解はしているが、他人の立場を理解するのは難しいことである。だが多方面な見方をし他の立場から物事を理解する簡単な方法がある。それは他国の報道を見て日本での報道と比較してみることである。新聞には小さな欄ではあるが、各国の主要な報道という部分があり、それぞれの大きな事件が掲載されている。幸運なことに、最近はインターネットの普及で各国の報道がもっと詳細に理解できる。すでに韓国・中国・台湾のメディアの一部は日本語サイトを開設あるいは開設準備中である。例えば朝鮮日報・中央日報・人民日報社・台湾トゥデイ等が日本語サイトを開設している。特にこれらの国の間で共通の事件があったとき、これらのサイトを参照することは事件での双方の立場を理解することに役立つだろう。また英語が多少でも出来ればアメリカ・イギリス・カナダ・インド・シンガポール・オーストラリアといった国々のニュースサイトを参照することが出来る。ヤフーの各国のバージョンにアクセスしてみるのもいい。
 実際に一つの事件をこれらのサイトを見て比較すると面白い。例えば尖閣諸島の問題、東北の災害の問題でも国によって報道の捉え方が違うのである。日本にとって外国からの腹立たしい行為があったとしても、国が違えばやはりそれぞれの立場や正義がある。日本に住んでいる人でも日本の立場からの主張だけをするのではなく、それぞれの立場を理解したうえでの対応をするほうがより有利となる。また日本が報道しないことについて知ることも出来るだろう。2008年に中国製の毒入り餃子事件があったとき、日本ではその毒薬成分は日本では手に入りにくいものであるが中国では普通に市販されているものであること、日本の別々の場所で販売されている餃子に入っていることから中国で既に混入されている可能性が高いことが報道されていた。でも日本以外ではこのような詳細な報道は必ずしもされていなかったか、されていてもそれほど大きく取り上げられていなかったようである。尖閣問題や竹島問題についてもそれぞれの国の報道がやはり違う。私も日本の報道だけ見ているとわからないことについてはっとさせられることがある。例えば今回の東日本の災害でも中国の支援などはあまり報道されていないが、中国のサイトでは大きく取り上げられている。

 もう一つ面白いのは、最近はインターネットの報道についてニュースの下に一般視聴者のコメントがつけられることである。かつてはメディア各社の報道する立場のものからの報道のみだったが、今ではそれについての一般人のコメントがつくことによって一般人の考えや捉え方がよくわかるのである。
 これについては一般人のコメントなので言語が理解出来ないと辛いのだが、中国や韓国の報道については代表的なコメントを翻訳してまとめたものを掲載している日本語のサイトが時々ある。英語のコメントについては大学卒程度の人ならばなんとなくわかる程度のものがあるだろう。多くの賛成票や反対票が入れられているコメントだけを見ていても、その国の国民の大意がそれで理解できるのである。この春の中国こ高速鉄道の事故でも、アメリカでのコメント欄を見ると面白かった。中国製品の悪口から中国全体に対する恐れや文句といったものから、今後アメリカに導入が計画されている鉄道計画に関する心配までたくさんのコメントがあった。もちろん事故に対する弔意もたくさんあり、これによってその国の民意の高さを表しているようにも思う。そうやって自分の視野を広げていくことが最終的には自分の立場や能力を優位に導くだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«菅首相の脱原発政策について