常識にとらわれず、自分で理論的に考えよう。
「そんなことは過去に例がなかった」
「誰も今までやっていない」
そんなことを何かの反対の理由として言う人が時々います。仕事をするうえにおいて、こういう考え方が私はものすごく嫌いです。何かをやるとき、それがいいのか悪いのかということを考えようとしていたら、そんな言葉は出てこないはずでしょう。こういうことを言う人達は、思考が停止しているのです。自分で頭を使って物事を考えるのをやめ、物事の判断を過去の事例に頼っているわけです。他にも
「もしそれがそんなにいいものならば、もう誰かやっている。まだ誰もやっていないのは良くないからだ」
「今までずっとこのやり方でやってきた。これで問題ない」
「専門家がそういっている」
なども同罪でしょう。思考を停止して決まりきったルーチンワークをしていれば日常が過ぎていくようなことをしていれば、物事をより良くしていくことは出来ません。殆どの仕事は、常に改善すべきところがあるものです。世の中のこと全てを自分で思考することは不可能ですが、何故それがいいのか或いは悪いのか、ある程度は自分で追求していくべきです。
つまらない例を挙げてみましょう。私がまだ学生時代、部活の途中で水を飲むのを原則禁じられていました。その当時、水を途中で飲むのは体を疲れさせると一部の専門家が言っていたようで、そういう考え方が幅をきかせていたわけです。しかし体が水分を失っているのに水を補給しなくてどうする、と私は指示を無視して自分の判断で水を飲み、先輩達とおおいにもめたものでした。ちなみに現在では喉が渇けば、特に運動をしたりして水分を失ったときには水を飲むようにすべきだと多くの人が考えています。
また同じく学生時代、授業で剣道がありました。ここでは声を出すことを強く指導されました。テレビの剣道の試合のとき、面を打つときに思いっきり叫んでいるあの伝統の声のことです。しかし叫ぶことは余分な力を使い呼吸が乱れて体力を消耗するし、何よりも声で人を斬れるわけがないと主張して、私は一人いつも黙って相手を切り倒しました。一本とったはずなんだけど、「声をだしていないから一本と数えない」などと審判に言われたものです。しかし私は、声を出すことに合理性が見つけられず、声を出さないほうがむしろ有利だと考えたからそうしたのです。この私の考え方に同意している人は現在も殆どいませんが、私は正しいと思っています。
仕事も同様です。もっとまともな例を挙げてみましょう。今でこそ当たり前になっているヤマト運輸の宅急便ですが、昔は運送業というものは特定の場所から特定の場所、例えばトラックターミナルのような荷物の集積所に一度に大量に荷物を運ぶから仕事になる、個別に一つ一つ荷物を運んで仕事になるものかと大反対だったようです。
ハブ空港という考え方が今は航空輸送の基本になりつつあります。昔、この考えを思いついた当時のエール大学のフレデリック・スミスという学生は、当時の航空輸送の常識を覆すこのレポートを評価してもらえず、A,B,Cの三段階評価でCという最低の成績をとったそうです。彼はその後、この考えをフェデラル・エクスプレス社に入社後に実現し、世界の先端を走ることになりました。
今では誰も疑問を持つこともなく飲んでいるアイスティー、アイスコーヒー、冷たいウーロン茶なども、登場した当時としては常識はずれな考え方でした。例えば中国では、ウーロン茶などはつい最近、恐らく20世紀末に日本の飲料会社が冷たいウーロン茶を持ちこむまで、熱いものを飲むと決まっていました。中国人にとって、日本人が冷たいウーロン茶を飲むというのを常識はずれだと思っていたようです。今は中国人も冷たいウーロン茶を日常的に飲みます。
その中国では、通常のウーロン茶と同様に砂糖入りのウーロン茶が日常的に売られていますが、日本にとっては砂糖入りウーロン茶は常識はずれでしょう。しかし今後もそうだとは言い切れません。でも中国に行ってウーロン茶を買うときは、加糖か無糖かを調べてから買うようにしてください。
欧州ではレストランにはいると、飲み物として水か炭酸入りの水かを選びます。日本人の私にとっては、炭酸入りのただの水はわけがわからない常識はずれだと思えました。しかしそれは私が日本の常識にとらわれているだけなのです。炭酸入りのお茶やコーヒーが今後出てきて流行ることなどないなどと、一体誰が断言できるだろうか。
物事を常識や過去の経験にとらわれないこと。自分で考え、何故いいのか悪いのかということを問うこと。それが自分自身も仕事も向上させていくと思います。少なくとも私は「過去に例がない」ということを反対の理由にするのはしないことにしています。
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